会社員になる前の話

以下エントリのさらに前の話です。

satoru-takeuchi.hatenablog.com

小学校時代あたりから大学に入る前あたりまで。勉強できたかどうかとか、プログラミングに興味を持ったきっかけとか、どうやって成長してきたかとかそういう話。私の書くこの手のエントリでよく前置きをするように、やりたいことだけやりたい、やりたくないことは嫌いだし苦手、というタイプの人には役立つかもしれません。

小学校の最初のほうは算数とかが得意だった気がします。ただその後は反復練習をするのが嫌いだったり、一回授業を受ければすべて理解できるほど頭よいわけでもなかったので、順調に落ちこぼれました。このころは漫画読んでゲームして、くらいしかしてなくて、漫画家になりたいとか思ってました。従兄がMSXを持っていて、かつ、ベーマガのサンプルコードを自分で打ち込んでゲームやってたりしたので「プログラミングってすごい、ゲームが自分で作れる」という認識はここでできました。兄は勉強ができて、かつ、面倒見もよかったので、どこに行くにも兄と一緒で、兄に依存して、何も自分では考えずに頭に霞がかかったように、ぼんやり生きていました。

高校は地域内で勉強苦手な人がギリギリ入れるくらいのところに行きました。当時、その高校の中では中くらいの成績だったような覚えがあります。このころ、過去のMSXの記憶を思い出して漠然と「パソコンがあればゲーム作れるのか、作ってみたい」と思ったり、「ゲームプログラマで生きていければ楽しんでお金もらえてよさそう」とか思ってた気がします。1年の中盤あたりでたまたま物理の試験の点数がえらく高かったので、「ああ、自分は何もできないと思ってたけど、できることがあるのか」と思って、頭の霞が少し晴れました。そのときはあんまり意識しなかったんですが、実はこれが人生の重要なターニングポイントだったかも。自己肯定感と成功体験大事。あと、進学のときにうっかりもう少し難しい高校に進んでいれば、この体験がなかったかも。

高1の終わりくらいにたしか兄がPC買ってもらって自分もちょっと触ったんですが、プログラミングにさほど興味は示さず、兄がベーマガを見てなんかポチポチ打ち込むのを見ていたくらいでした。インターネットにもつながりましたが、2chなどのテキストサイトを見てるくらいで、とくに生産的なことはしていませんでした。そのころあったRPGツクールDante98というツールでゲームを作ろうとしたものの、よくある話で根気がないので続かず。高校2年から文型と理系のクラスに分かれることになったんですが、数学や物理がそこそこできたのと、「英語やりたくない」という理由で*1理系コースに行きました。

高校2年あたりで兄が大学進学のために実家を離れました。するといろんなことを自分で考えるようになって、これまた意識が大きく変わったことを覚えています。のちに家族からも「あれをきっかけにずいぶん変わった」と言われました。彼が残していったPCを使って、簡易プログラミング言語のようなものでいくつか小さいゲームを作っていました。このあたりで「プログラマ(主にゲームプログラマ)になりたい」「情報系の学科を受験したい」と固く決意したのを覚えています。そのころインターネットなんて使えないとか、それとは別に、前述の成功体験でいい気になって、なんやかんやで勉強して成績がよくなり、高校の成績が一番になりました。勉強できない人がいく高校の一番ではありますが、一番は一番なので気持ちよかったです。成功体験大事again。

そのあとは見事に慢心して勉強しなくなり、情報系学科の受験に失敗しました。受験した大学の別の学科に滑り込みで入れたので、なんとか首の皮一枚つながりました。あのとき浪人していたら多分勉強せずに順調に落ちぶれて、今も実家でグダグダしていたかもしれません。その学科は偏差値でいうと50切るくらいだったと記憶しています。高校でトップだったとはいえ、世間的には勉強できないのは変わりません。センター試験で数学や物理などのいわゆる理系科目よりも国語の点数が圧倒的によかったので、「一体自分は何者なんだ」と思った記憶があります。これはのちのちテクニカルライター個人事業主としてやる伏線だったのかもしれません。

大学に入ってからは専門教育も一般教育にもとくに身が入らず、B1の最後の成績は悲惨なもので、このままでは留年必至という状況になりました。ここから奮起してたくさん勉強して、最終的にはまあまあの成績に落ち着いてB4に至りました。毎度毎度、ギリギリになるまでは徹底的にサボり、その後に謎のパワーでピンチを切り抜けています。これはいまでも変わっていません。このころには「ああこれはこういう性格なのだな」と、ある程度割り切るようになっていました。自分を知るの大事。それ以外には数学と現実(専攻分野であった材料工学)が結びつくという体験ができたので、何かに開眼したように記憶しています。知識のリンクですね。この快感はすごい。

プログラミングについては徐々にマニアックなことをするようになってきました。

  • 「このテキストファイルはPC上にどのように保存しているのだ」と思ってデータをバイナリダンプしたり文字コードの概念を知った
  • 「プレステのゲームのポリゴンってどうなってるんだ」と思って三角関数を学んでポリゴナイザを作った
  • 「画像ファイルはどう表現しているのだ」と思って(たしかWindowsbmp形式ファイルの)エンコード方法を解析して、画像描画エンジンを作った
  • 「プログラムの起動は誰がやってるんだ。OSというのがやってるらしいが、そのOSは誰が起動するのだ」というのを考えてOSとかカーネルの存在に気づいた

なんかこう、レイヤが下がってきましたね。このころから「自分にはゲームプログラマになるためのセンスも情熱もないな」と感じるようになってきました。それとはいれかわりで「そのさらに下のしくみがおもしろそう」と思うようになってきました。

B4ではまたしても落ちぶれて、「興味がないことはないが、これで一生食っていける気がしないし、やりたくないし、一流には決してなれない」という強い思いがあって、一発逆転を狙ってサーバベンダのLinuxカーネル開発部署へのインターン応募に突撃することになりました。

後の流れは冒頭に紹介した記事の通りです。振り返ってみれば綱渡りのような人生を歩んできていますが(今もそうです)、そもそも自分はコツコツ勉強して着実に成果を出していくというのはストレスフルで困難なので、多少進路が変わったとしても、結局この手のギリギリの生き方をするしかなかったのかなあと今は思っています。人生人それぞれですよ。でもコツコツできる人はやったほうがいいと思いますよ。わたしはたまたまうまくいっただけで、わざわざ好き好んでハイリスク人生を送る必要ないと思います。

おわり。

*1:それは完全に間違いだったんですが