これまでの人脈の広がりかた

はじめに

先日書いた以下の記事の反響がけっこうあったので、その続きのようなものを。

satoru-takeuchi.hatenablog.com

わたしは今も昔も仕事としてOSS開発者をしていて、twitterなどでそれなりに名前が知られていることもあって、昔から「どうすればそういうこと(業務としてOSS開発)ができるのか」「どういうキャリアを歩んできたのか」「Linuxカーネル開発者になるにはどうすればいいのか」ということをよく聞かれてきました。当時わたしが置かれた環境と現在の環境では違いがありすぎるので公開に積極的にはなれなかったのですが、一つの過去事例として何らかの意味はあるかもと思って公開することにしました。

これと似たような話で、わたしはIT業界の知人友人がけっこうな数いて、かつ、かなりジャンルがバラエティに富んでいます。このため、「どうやったらそうなるのか」という質問をよくされます。本エントリはそれについて書きます。どんな時期に何をしたらどういう人と知り合いになってきたか、という観点で書きます。

IT企業のインターンシップに行くまで(~2003)

2003年のM1のときに上記の記事にも書いたように富士通インターンに参加しました。それまではIT業界の知り合いは皆無でした。学科が材料系だったこと、および他の学科の人との交流もなかったことより、知人友人にもプログラミングに興味のある人は皆無でした*1。当時は自分の一番好きなことを話せる人がおらず、かつ、自分の能力がどれほどのものかもわからず、悶々としていました。

インターンに行くとLinux大好きな人、カーネル大好きな人、プログラミング大好きな人、とたくさん知り合いました。IT企業といえど仕事としてやってるだけで好きではないという人ばかりの職場もあるそうなので、ここは恵まれていたのでしょう。

この時期まではIT業界の知り合いはインターンに参加したチーム、およびその周辺の人たちだけでした。

新卒入社以降数年のカーネル開発者人生の前半(2005~2009年)

就職すると社内の知り合いが徐々に増えてきました。自分のチームからはじまり同じ部署の別チームの人、別部署の人、などなど。ただSEさんと話すことは稀で、お客様を含めた社外のかたと知り合うことは皆無でした。ここまでは大企業の開発者としてはとくに珍しくないでしょう。

その一方で、ベンダと取引先やお客様という関係ではなく、同じOSS(Linuxカーネル)を開発する人たちとつながっていきました。接触の場は主にLinuxカーネルに関するイベントです。古くはOttawa Linux Symposium、OSDLのJapan Linux Symposiumなど。その後はLinuxCon Japan(現在も毎年開催されているOpen Source Summit Japanの前身)などなど。これらのイベントを通して大手ITベンダ(NFH,NTTDなどなど)のLinuxカーネル開発者たちとちょくちょく喋るようになりました。

この時期までは社外のIT業界の知り合いはほぼLinuxカーネル開発者のみでした。

社外イベントの講師(2010年)

たまたま社内でオペレーティングシステムの講義をやっていたこともあって、セキュリティ&プログラミングキャンプというイベント(セキュリティキャンプの前身)で学生にLinux Kernelを学んでもらうコースの講師として呼ばれました。講師は全員現役Linuxカーネル開発者という強烈なメンツで、社外のかたが5,6人いました。当時ほかのかたとは「お互いに顔は知ってる」程度でした。このイベントを通してずいぶん仲良くなりました。講師だけではなく、LinuxLinuxカーネル、プログラミングが大好きな情熱的な学生さんたちともたくさん出会えました。そのうち一部のかたは現役Linuxカーネル開発者になったりなどして今も縁が続いています。

セキュキャンで特筆すべきは、これまで全く縁がなかったセキュリティ技術者、OS自作lover達、プログラミング言語開発者のかたがたという別ジャンルのかたがたと知り合えたことです。あまりにも世界観が違うのでかなりの衝撃を受けたことを記憶しています。セキュリティキャンプは学生同士、学生と講師が繋がるハブとして過去も現在も機能していますが、教える側の講師も別ジャンルの講師/学生とつながって刺激を受けることも珍しくないのです。

現職のサイボウズの社員のかた*2との縁もここでできました。まさかそのときはサイボウズに入社するとは夢にも思っていませんでしたが…

他にもセキュキャンを機に、当時はさして興味がなかったtwitterをはじめました*3。のちにこれは私の人脈の広がりかたに大きく影響するようになりました。

カーネル開発者人生の後半(2010~2017年)

セキュキャンで知り合ったLinuxカーネル開発者たちを経由して、Linuxカーネル界隈の主だった日本人開発者たちはほとんど知り合いのような状況になりました。技術的な話からくだらない話まで、ずいぶんたくさんした気がします。このかたがたとは今でも関係が続いています。

Linuxカーネルに詳しくなっていくとともに、各種イベントにおいても聞く側だけではなくプレゼンする側になったりして、日本国外の開発者とも知り合いになってきました。主に自分が開発にかかわっているコンポーネントの開発者とよく話すようになりました。

無職時代(2017前半)

前職を辞めてから、とくにやることがなくてツイ廃になりました。2010年から2017年あたりまでは大してフォロワーもおらず、知名度もなく、淡々とネタツイをして過ごしていました。

この年に買った新しいPCについていたとあるCPUの不具合を見つけた*4こと、および、それを面白がってtwitterで調査の進捗報告したことにより応援や注目してくださるかたが増えて*5、いろんなジャンルの知り合いが増えていきました。狙ってやったわけではないですが、知名度もそこそこ上がりました。「いつもtwitter見えます」と声をかけてくれる人も増えました。

ツイ廃だけではなく個人事業主として技術書を書きました。これが結構売れて評判もよかったことから、こちらも知名度が上がり、かつ「本を見ました」というのをきっかけに知り合いも増えたと記憶しています。「この人といえばコレ」という持ちネタがあると相手も話のきっかけがあって、知り合いが増えやすいという印象があります。

このあたりでkernel/vmというカーネルとかVMとかが好きな人たちの集団とかかわるようになりました。ハッカーコミュニティというやつですね。ここではのちに幾つかのイベントの主催もするようになったりして、さらに知り合いが増えていきました*6

外注エンジニア時代(2017年後半~2018年前半)

この時期に過去の知り合いがいろいろ取り計らってくれたこともあり、Linuxカーネルに詳しい人としてサイボウズに技術顧問(外注技術者)として雇われることになりました。雇ってくれた人とは間接的にしかつながりはなかったのですが、既存の人脈が大きく生きました。余談ですが、twitterでの巻き込みリプライをきっかけになんやかやあって雇われたのでtwitter就職(このときはまだ外注エンジニアだけど)だったりします。

サイボウズ社員時代(2018年後半~)

この年、技術顧問から社員になりました。仕事はLinuxカーネルからすこしレイヤが上がってKubernetes技術者です。さんざ苦労してきましたが徐々に仕事が軌道に乗ってきました。さまざまなイベントに参加したり、登壇したりすることによってKubernetesの技術者とのかかわりが生まれました。この業界でも幸か不幸か「twitter見てますよ」と声をかけられることが多いです。見られるのはこっぱずかしいですが、話すきっかけになるのはいいことだと思っています。

今は会社の次期インフラで使う予定のRookというソフトウェアのメンテナをしていることもあり、海外在住のRookの他のメンテナや開発者たちとも親しくなりました。Rookの開発を通して「Rookの人」「Kubernetesのストレージの人」としても認知されるようになりました。

おわりに

現在の知人、友人の構成は次の通りです。

  • 前職の先輩、後輩。ほぼ全て同じ部署か1hop先の部署の人たち。十数人*7
  • Linuxカーネル開発者たち(”元”を含む。わたしも今はやってない)。十数人
  • セプキャン&セキュキャンをきっかけに出会った人たち。数十人
  • kernelvmの多彩な能力を持つ人たち。数十人
  • Kubernetes技術者たち。十数人
  • 上記の人たちから紹介された人たち。数十人
  • Rook開発者たち。数人
  • ついった知り合い。数十人。アカウント名しか知らない人多数。お互いIT技術者だが技術的な話を一切しない人もいる

振り返ってみると「人脈を増やしてやるぜ」と息まいたことはあんまりなくて自然と増えていったので、あまり気負わなかったのがよかったのかもしれません。鼻息荒くいくと独特の臭みが出るので避けたほうがいいかもしれません。

その他に読者のみなさまに言えることがあるとしたら、面白そうな人たちがいる場所に飛び込んでみる、発表の場があればやってみる、twitterなどのSNS、qiita、zenn、note、各種ブログなどのサービスから地道に情報発信してみて「この人といえばコレ」というものを作って、ウマが合うひとたちと自然につながっていけばいいのかなと思います。

ではこんなところで、おわり。

*1:正確にはみんな授業でFORTRAN77を学んでましたがとくに熱意をもって何かしていた人はおらず

*2:正確にはサイボウズラボでしたが

*3:アカウント自体はもうちょっと前から持っていた気がする

*4:すでに修正済です

*5:敵も増えて炎上もしました

*6:昔からずっとここにいるように思われていますが、かかわるようになってから高々4年しか経ってません

*7:辞めても前と変わらず付き合ってくれて嬉しい