時計をあまり見ない生活をはじめました

最近生活をしていくなかで時計をなるべく見ないようにすることにしました。理由は、もしかしたらこれで心に余裕が生まれるのでは、と思ったことです。とくに確たる根拠があるわけではなく思いつきではじめましたが、いまのところ前よりも気楽に生きている気がします。

この取り組みをしようとしたきっかけは、何気なく「今何時だっけ?」と時計を見た時でした。そのときは休日だったこともあって別になにかのタスクをいつまでに片付けなければならないというわけではなかったのに、です。

ここでふと、「自分は時計や時間に支配されていないだろうか」と思いました。さかのぼってみると自分には定期的に時計をチェックする癖があることがわかりました。それはもしかして頻繁にネットサーフィンやSNSのチェックをしてしまうという癖のように、場合によってはあまりよくないことなのではないかと思うようになりました。

そこで時計を出来る限り見ずに、何かしら次のことをしなければならないときにはアラームを使い、それが鳴るまでは時計で時間を確認せずに、気の向くままに気の向くことをすることにすることにしました。

上述のように、いまのところ前よりのんびり生活できていて気楽になったような気がします。とくに定性的になにかが変わったわけではないですが、こうしたことによって何か困るわけでもないので、今後もしばらく続けてみようと思います。

文書やコードのレビューで気をつけていること

文書やコードにはレビューというプロセスがあります。書いた人ではない人がそれらを読んで意見を述べて、意見を反映させてよりよいものを作っていくプロセスです。明にレビューという名前がついていなくても人の作品に意見を求められることが多いと思います。

このレビューというやつは、やることだけ見れば簡単そうに見えるのですが、非常に考えておくとよいことが多いです。本記事ではレビューはこうするといいものになるんじゃないかなと私が思って実践していることを共有します。なにか響くところがあれば参考にしてもらえたらなという程度の話です。

レビューアとして、まずは段階に応じた粒度を心がけています。レビュー対象のソースや文書は、最初は粗い物を出して、どんどん練り上げて、最終的に完成に持ち込むものです。したがって「とりあえず書きなぐってみた」という段階で細かい指摘をしてもあまり意味がありません。そういう指摘をしても次のレビューのときに指摘した部分がまるごとなくなっている場合があるからです。ここの塩梅は非常に難しいのですが、たとえば文書でいうとわたしは初期のレビューでは全体構成などについては話しますが、「てにをは」レベルの指摘は、よほど意味が通じないという場合を除き、やりません。

指摘の重要さの切り分けも重要です。わたしは修正したほうがはっきりよいと言える場合は指摘をためらいませんが、好みの問題のときはそもそも指摘すらしません。自分でもどっちでもいいと思っていることでお互いの時間を使うのはもったいないからです。とくに、ここで変にこだわるとレビューに対して寄与しない激論がかわされて、なにかやってるように見えて何も進んでいないという悲しいことになります。レビューの目的は相手を論破することではなく、より良いものを作ることです。

レビューをする側ではなく、依頼する側としてもやっておくべきことがあります。まずは対象読者の明確化が必要です*1。たとえば、初心者向けの文書では手厚く説明しているように見える文書であっても、その道のプロ向けのものだと当たり前のことをクドクド書いているだけという見方ができます。ここを最初に決めておかず、意識が共有されていないとレビューが迷走しがちです。

続いて、どういう人にはどういう観点で見てほしいかも書きます。たとえば初心者用の文書では、プロには技術的に合っているかどうかを重点的に見てもらい、対象読者の人にはこの文書で自分が理解できたかを見てもらう、などです。事前にレビュー観点を共有できているとお互いに手間が減らせると考えています。とくにレビューに慣れていない人にレビューアを依頼すると効果的かと思います。

いろいろ書いてきましたが、やっぱりレビューは難しいですね。ここに書かなかったこともたくさんあるのですが、レビュー対象物の性質によって適切なやりかたが大きく変わりそうなものは紹介を避けました。

みなさんも気をつけていることがあれば教えて下さい。おわり。

*1:これはレビュー有無に関係なくすべての文書に対してあるべきだと思ってます

情報発信に伴う負のリアクションについて

なんらかの情報発信をすると、いろいろなリアクションが返ってきます。本記事ではこれら負のリアクションに怖気づかずに発信を続けたい人に、これまでに色々な記事を書き、かつ、殺害予告を含めた多種多様なリアクションを受けてきた筆者の考えかたを書いたものです。とくに情報発信を推奨するものではありません。やりたい人がやればいいだけです。

負のリアクションにはいろいろなタイプがあります。ここでは以下の三つのタイプについてのみ述べます。

  • 馬鹿だのアホだのいう悪口
  • 答えが無いものについての反対意見
  • 誤りの指摘

複数のタイプが混ざり合ったものもあります。たとえば「ここの定義が間違えている。こいつは頭がおかしい」は誤りの指摘と悪口が混じっているといえます。

上記3つのタイプのうち、悪口については無視するといいと思います。なぜなら気にしてもとくにいいことはないからです。仮に相手にしてもとくにいいことはありません。発言、および発言者をミュートないしブロックできるのであればそうしたほうがいいとさえ思います。ブロックは逆恨みされたりする問題もあるのでミュートがいいと個人的には思います。

答えのないものについての反対意見については、基本的に「人による」としか言いようがないので、さらっと流せばいいでしょう。面白い意見であれば会話してみるのもいいかもしれません。誤解をもとに意見されたのならば誤解をただすのもいいかもしれません。ただし悪口と合体している意見の場合は話が通じない可能性が高いので、これも無視するといいと思います。ただ口調が丁寧でも議論が成立しない人もいるので、「なるほどそういう考え方もあるのか」と思って、参考にするもののとくにリアクションを返さないのが無難かもしれません。

最後の誤りの指摘については、本当に誤っているのであれば、のちのちの自分の信用のためにも速やかに訂正するとよいと思います。議論に慣れていない人であればとくに「自分の意見を否定された」「自分を否定された」と思うかもしれませんが、誤っているものはしょうがないので、自分の非を認めるほうがよいでしょう。ただし、とくに悪口と混ざっているような人は直接答えを返すとめんどくさいことがあるので、訂正したことだけを明らかにして、発言者に直接リアクションしないという手もあります。指摘が誤っている場合は、まともな議論ができる信用できそうな相手であれば反論するのも一つの手です。ただし、そうでない人の場合は終わらない地獄のようなレスバトルが続くこともありますので、反応を返さないのがいいと思います。

以下まとめ。

  • おかしい人には近寄らない
  • 考え方によるものについては、どちらが正しいとかは考えず、参考にする
  • 誤りがあればそれを認めて正す

休むことは難しい

休むことがどれだけ難しいか、および、私がそういうときにどう考えてきたかについて書きます。

プログラミングをはじめとしてコンピュータが好きであればあるほど*1、やる気があればあるほど休むことが難しいです。若くて気力体力が有り余っている場合はとくにそうで、朝から晩までプログラミングをしていてもあまり疲れを感じず、かつ、寝て起きたらスッキリです。ところが次第にそうではなくなってくることが多いようです。私が実際にそうでした。私の場合は以下のような流れで休みかたを忘れていきました。

  1. 10代後半でコンピュータに出会ったことによって興味の持てる対象が激増した
  2. コンピュータについての知識を得るために毎日昼夜を問わずに作業していた
  3. 休憩という概念がなく、寝る(気絶する)まで作業して、起きたらまた作業という状態になった。若くて体力があったので死ななかった
  4. 生活のリズムが乱れて疲労が蓄積していった。が、茹で蛙のごとく、本人は気づかない
  5. いつしか疲れているのが当たり前になってきた。どういう状態が元気なのかがわからなくなったし、そもそも休んでいないので休みかたを忘れた。これも本人は気づいていない
  6. 若くなくなって体力がなくなってきたのでつらくなってきた

今の世の中ではSNSなどで否が応でも自分と他人を比較してしまう機会があるので、「自分はまだまだ努力が足りない」「自分が休んでいる間にも他の人は先に進んでしまうのでは」「あの凄い人は一日中何かやってるっぽい」などという考えに陥りがちです。実際若者のtwitterを見ているとそういう考えにとらわれている人をかなり見かけます。これも私に当てはまりました。

無理を重ねれば重ねるほどに心身ともに疲労が溜まってきます。それは能率の悪さ、疲労感、体の凝り、姿勢の悪さ、イライラ、焦燥感、睡眠不足、など、さまざまな形で顕在化してきます。不調が一気に現れる場合はまだいいのですが、この手の症状は軽いものからはじまって次第に重くなっていくので、自分にとっての「好調」のレベルがどんどん下がっていき、身心は悲鳴を上げているので自分ではまだ好調のつもりでいることもあります。加齢に伴って昔大丈夫だったものがそうでなくなることも多々あります。この状態がどんどん進むと、いずれ腰が破壊されて座れなくなったり、メンタルを患ったり、不可逆に身心を破壊することになりかねません。

このようになったときに「休む」という単純な改善方法があるのですが、そう簡単にはいきません。なぜならずっと作業をしていたくて、休んでいる暇などない、と、思っているからです。疲れている、休みたい、でもどうやって休めばいいかわからない、いざ休もうとしても気づいたら作業している、そんなことはないでしょうか。筆者は10年以上そんなかんじでした。こういう辛い状況を抜け出すために筆者がいろいろと取り組んだ結果、役に立ったものを書いておきます。もちろん人によって何がいいかは全然違いますが、上記のような、いかにもバッドエンド一直線のようなルートに自分も乗っているなと思う人は参考にしてください。

第一に考え方を変えました。無理してでも何もしない状態を作って数日間過ごしてみて、自分の体調の変化を見てみます。それで改善するようなら、休んだ後の状態が自分本来の姿で、もともとは劣化していた効率の悪い状態で延々と作業していたことになります。疲れた状態でしっかり休むと、効率のいい状態で作業できる、という意識を体感すると、休むことに段々抵抗がなくなってきました。

第二にインターネットや電子機器から自分を切り離す時間を設けました。デジタルデトックスとか言われたりもするやつですね。ツイ廃のわたしにとってはとくにSNSとの切り離しが効果的だったと思います。かつては一息ついて何も考えずにぼーっとしていたときで画面を見てtwitterをしてたりすることがあったので、それを控えるようにしました。気を付けようと考えて気を付けられるようなものではないので、以下のように強制的に使えなくする仕組みを導入しました。

  • Androidのフォーカスモードのような機能で特定アプリを使えなくする
  • アプリをアンインストールする
  • 特定の端末からしかアクセスできないようにする
  • 寝るときは寝床に端末を持ち込まない

そこまでするなら「やめればいいのでは」と思われるかもしれませんが、情報発信や普段気軽に会えない人と話したりするのにはSNSは非常に便利なツールなので、無理にやめはしませんでした。

第三にストレッチをはじめました。私の場合は昔に比べて明らかに体が硬くなっていたり姿勢が悪くなったりしていたので、とにかく執拗にストレッチをしました。とくに電子機器をさわるときに酷使しがちな首、肩などを重点的にやりました。この効果は目覚ましく、かなりの能率改善を達成できました。今では決まった時間にやるというより、暇なときはまずはストレッチ、というくらい習慣化しています。

第四にリラックスできる趣味を持つようにしました。わたしは昔からコンピュータが大好きで、就職してからも会社ではプログラミング、家に帰っても同じようなことをしたり、別のことをしていると思いきや会社とは別分野について何かしていたりという具合でした。この考え方ですといちおう仕事と趣味を切り離しているといえなくもないのですが、頭脳は酷使し続けるので、疲れも溜まり続ける。この状態を改善するため、数年前からコンピュータとは一切関係のない、かつ、頭が休まる趣味を探して、現状では写真を撮ったりコーヒーを淹れたりという趣味を見つけました。これまでは疲れたら寝るくらいしかやることがなかったのですが、リフレッシュする方法に多様性が生まれたので、とてもよかったと思います。

第五に、身心の作りが違う他人と同じ土俵で勝負しようとするのをやめました。たとえば一日4時間睡眠で平気といったようなショートスリーパー、業務でのプログラミングに疲れたら趣味プログラミングで疲労を回復させるアンデッドモンスターのような人がいるのも否定しませんが、自分ではどうなるかを試してみたところ、残念ながら自分はそうはいかないという認識をしました。その結果、無理なものは無理、自分のハードスペックに合ったことをするのが一番、と思えるようになりました。ここで重要なのは、どういう状態なら自分は元気か、パフォーマンスが出せるか、という感覚を取り戻して初めてこの取り組みが可能になったということです。

上記のことは最初から徹底できたわけではなく、だんだんとできるようになったと記憶しています。何事も一気にすべて解決とはいかないものです。なにかを勉強するときと同様、小さな積み重ねを繰り返していけばいいのだと思います。

*1:別にコンピュータに限りませんが…

2-in-1のChromebookを買った話

LenovoIdeapad DuetというChromebookを買って数週間経ったので感想を書き連ねます。

www.lenovo.com

もともと次のようなことがしたくて適当な端末を探していました。

  • 軽くて持ち運びしやすい
  • 雑誌記事や書籍の原稿など、文書作成がしたい
  • 電子書籍が見たい
  • ssh経由で外のサーバにつないで開発がしたい

この要件で人に聞いたところ、これを教えてもらいました。評判は上々で、かつ安価であることより、購入に踏切りました。昔Chromebookがリリースされてからそう時間が経っていないころに一度買ったことがあり、Webブラウザsshがついていたのは覚えていて、かつ、Androidアプリも使えるらしいと聞いていたので、これなら行けそう、と思いました。

買ってみたら想定していたよりも多くのことができるとわかりました。一番大きなものはベータ版としてLinux環境(distroDebian)が使えることでした。さらにその環境上のGUIを動かせることもわかったため、VSCodeをインストールしてみると、あっさりと動きました。さすがにCPUパワーが足りないので動きはもっさりしていますが、普段使い慣れているエディタで文書作成ができて、かつ、オフラインで開発もできるというだけで非常に嬉しいです。これからどんどん使い込んでいきたいと思います。

ハードウェアキーボードは価格相応で、それほどいいものではありませんが、それほど長い時間でなければ問題なく操作できるかなと思うくらいです。トラックパッドがついているのはいちいちタッチせずに済むので便利だと思います。laptopからタブレットへの切り替えときにはハードウェアキーボード兼フタを本体から取り外す必要があるため、けっこうめんどくさいです。iPadのようにキーボードを外さずにそのままタブレットとして使えるようなものだったら嬉しかったのですが、外さないと重いので、それはできるかもしれませんが、やりたくはないです。ただし、フタは重い反面、laptopモードにしたときは本体部分は安定していて、これなら倒れないだろうと安心できるという利点もあります。

タブレットとしては最低限kindlekoboで本が読めればいいやと考えていました。この最低限の要求には十分このたんまつは応えてくれて、いままでのところ、とくにストレスは感じていません。それに加えてAndroidタブレットとして使いやすければいいなと考えていました。こちらについては、ややもっさりしていると感じますが、我慢すれば使えるなといったところです。もう一点、ソフトウェアキーボードでの入力が不便です。一番の理由はiPadのようにソフトウェアキーボードを分割できないので、両手で画面の両端を持ったまま入力ができません(調べた範囲では。できると知ってる人は教えて下さい)。このため、寝そべってごろごろしながらキーボードで入力というのはめんどくさいです。

総合判断としては、価格性能比はとても高いと思いました。これからどんどん使い込んでいこうと思います。

買ったものに積極的にフィードバックするようにした

これまでは自分が買ったものに問題があってもなんとなくtwitterとかブログに書いて終わりだったんですが、最近は積極的にフィードバックをするようにしました。

その理由は、報告して修正されたらめっけもんだし、OSSのバグはしつこく調べてissue登録/PR投稿するのに、それより遥かに簡単なフィードバックするのはそんなに面倒くさくないなあと気づいたことです。もし直って他の誰かに役立てばそれも良いなというのもありましたが、これはあくまでついでです。

ここ最近で大小5件フィードバックしたと記憶しています。前向きなアクションをして気分がいいので今後も続けていこうかと思います。

コロナ禍の序盤を振り返って素人考えは危険と思った話

はじめに

この文書は自省のための文書です。

コロナ禍が当たり前になってしまったこの世の中、初めてこの件についてニュースになってから現在まで、私の印象に残った出来事を振り返ってみました。なお、ここまでの政府の施策などについては何か正しかったのかなんてのはわからないので評価はしません。

見出しに書いているニュースの元ネタはほとんどは以下NHKのサイトです。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/chronology/

改めて振り返ってみると、とくに序盤戦、いかに自分がデタラメなことを考えていたかがよくわかってゾッとしました。

では始めます。

時系列順のまとめ

1月6日 中国 武漢で原因不明の肺炎 厚労省が注意喚起

ニュースで見たとは思うが「へぇ…」くらいのもの。まったくの他人事で関心なし。

1月30日 WHO「国際的な緊急事態」を宣言+more

引き続き他人事。「中国大変ですね」くらい。

2月3日 乗客の感染が確認されたクルーズ船 横浜港に入港

「あらまあ大変ですね。全部おさまるまで外に出られないとノイローゼになりそうだな。出てきたときに差別的扱いを受けそうだな」という思い。依然他人事。

2月中盤あたり 脳天気な判断をしていた

6月にオランダで開催が予定されていたイベントに登壇する予定だった。日に日に「開催日の2週間以内に○○国に滞在していた人は参加できません」に該当する国が増えてきた。欧州は当時大した被害はなかった。

そのあと日本も対象になりそうか、あるいはなったかという段階で、「イベント開催2週間前に海外に出国すればいいのでは?わたしはぜひ喋りたい」というようなことを会社で話していた。その後の欧州の惨状を考えれば狂気としか思えないことを言っていた。

それ以外にも「インフルエンザのほうがよほど危険」くらいの意識でいた。

イベントは当然ながら結局オンラインになった。

2月27日 安倍首相 全国すべての小中高校に臨時休校要請の考え公表

「これは大変なことになった」とようやく危機感を持ち始めた。とくに息子を保育園に預けるのが困難になって日中の仕事に影響が出て我が事になったのが大きかった。

英国ジョンソン首相 PCR検査陽性

これから世界はどうなるのだろうと底知れぬ不安を覚える。

3月29日 志村けんさん死去 新型コロナウイルスによる肺炎で死去

直接の知り合いではないものの、子供の頃からよく知っている人が亡くなったことより絶句。このあたりから「自分が既に感染していても不思議ではない」と思うようになり、さらに気持ちが引き締まる。

4月7日 7都府県に緊急事態宣言 「人の接触 最低7割極力8割削減を」

ついに来たか、という印象。とくに驚かず。この時点では何が起きても異常とは思わなくなり、正常化バイアスが働いていたのだと思う。この感覚はいままで続く

おわりに

いちいち危機感を持つのが遅かったです。それに加えて何も知らないことについて知ったような顔をして、斜に構えていました。こういうのが要職についていると非常に邪魔なタイプですね。

素人考え危険、とにかく反省、今後に活かします。