生きづらさをマシにできるかもしれない話

自然に振舞っているだけで周りの雰囲気が悪くなって「あれ、またやっちゃいましたか?」となりがちな、世の中生きづらいタイプの人に向けた話。「こうすれば完璧!」というような明確な結論は無いのですが、私の経験をもとに「こうすればいいのではなかろうか」というのを書きました。

私は子供の頃からいわゆる「普通のことができない」子でした。たとえば次のようなものです。

  • 人との適切な距離感が掴めない
  • 好きなことには脇目も振らず集中できるものの、嫌いなことは義務であっても一切できない
  • 人に失礼な物言いをしがち
  • 細かいミスがやたらと多い

長く生きてきたこともあって今はある程度普通に近い振る舞いができるようになりました。しかし依然穴は多いですし普通にしようととするだけで心身ともに疲れ果てます。

自分やその似た者同士を見てきた経験からいうと、この手の性格というか性質というのは軽減はできても無くせるものではありません。そのため、無理に普通に近づけようとして疲弊するよりも、それはそれと割り切って、仕事にしろ趣味にしろ可能な限り似た者同士が集まる環境を選べればいいのかなあとおもいます。私も最近もなるべくは似た者同士の人たち*1が集まる場所で主に過ごすようにしたところ、この手の疲労がかなり少なくなり、そして生きやすくなりました。誰かに相談するにしても普通のことが普通にできてしまう人相手だと「がんばってできるようにしよう!」などと言われて会話が噛み合わなくなりがちなので、同類、ないし医師やカウンセラーなどの専門家にすればいいかと思います。呼んでもないのに甘いことを言って近寄ってくるオカルトじみた連中は相手にしないようにしましょう。

とくに若い人はまだまだ処世術に長けていないこと、多感なこと、および、とりうる手が限られること(例えば学生さんは関わる人を自分だけで変えるのは大変でしょう)など大変だと思いますが、やりかたによってはだいぶ生きやすくできるということは言っておきたいです。

*1:あるいはこの手の性質があっても受け入れてくれる人たち

qiitaのミュート機能を使ってちょっと幸せになった

今日twitterを見てたらqiitaにミュート機能があるのを知りました。

ミュート機能 - Qiita:Support

ので、さっそく視界に入るだけで不快だった人をミュートしました。よかったよかった。この人のために10秒使ったと思うと損した気分にならなくもないですが、そういう細かいこと考えてたら幸せになれなさそうなのであまり深く考えないこととする。

視界に入るだけで不快とまではいわないでもタイトルを見るだけでげんなりする記事を少なからず書いてる人がけっこういるようなので、その手の人を適当にミュートすればランキングとかもいいかんじになったりしないかな。

「雑草のはなし」を読んだ

四季折々の草花、その中でも雑草と呼ばれるものの特徴やちょっとした豆知識について書いてくれている本です。内容もさることながら、やさしくて綺麗な語り口なので読んでいると心が落ち着いてくるのがよいです。冒頭にある、本書で扱う草花たちのカラー写真もよいです。

子供を持って変わったこと

いままでの人生の転機は進学やら就職やらいろいろありましたけど、子供を持つことによる変化が一番大きかったですね。

  • 「あと20年くらいは死ねないなあ」とか思うようになった
  • 子供の虐待のニュースへの思いが「たいへんですね」から「ゆるせん」と「かわいそうに」になった
  • 街中の子供は視界にも入らなかったのに「この子は何歳だろう」や「ちょっとうちの子に似てる」などと気になるようになった

いやはやすごいものですね。別にオチは無いです。

「物理学とは何だろうか」を読んだ

16世紀から現代までに物理学が誰によってどんな理由でどう変化してきたかを書いた本です。むずかしそうなテーマですが文書は読みやすいです。数式が出てくるあたりは、苦手な人は飛ばしても読めると思います。わたしもこのあたりのことを昔習ったはずなのにほとんど覚えていないこともあって、そのあたりは熟読せずに流し読みしてしまいました。私としては本編よりも下巻に入っている「科学と文明」のほうが面白かったです。

「我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち」を読んだ

タイトルが上手いなとおもって買ってしまいました。ホモ・サピエンスがアフリカからでてきて各地に散らばって…というよくある本ではなく、今の人類とは別系統のアジアにいた原人達について詳しく説明してくれています。著者はジャーナリストで、このかたが専門家に監修を受けるというやりかたです。著者のアツい語り口がなかなか面白い。

本書の中には色々な原人が出てきますが、フローレス原人の謎を解き明かすところが白眉かと。この原人の発見当時わたしもニュースを見て相当びっくりした記憶がありますが、それがどういう経緯で小さくなったのか、などなどはそのあと全く追っていなかったので発見後いままでにどういうことがあったのかが本書によってわかってよかったです。

最後に。この手の本は監修者のかたの主張メインにならざるをえないのですが、監修者のかたもそれは承知していて、なるべく自説に偏らないように配慮されたとか。こういう一文があるのは助かります。

電子書籍よりも紙の本を買うようになった

最近紙の本はほとんど買わずに電子版しか買ってなかったのですが、思うところあって努めて紙の本を買うようにしました。すると読書量が10倍くらいになりました。紙のほうが良いなと思った理由にも読書量の変化にも驚いたので、どうしてそうなったかというのを書き出してみることにしました。あらかじめ断っておきますが「任意の人について電子書籍より紙の本のほうがいい」とかいう話ではないです。

以下、なぜ紙の本に回帰したのかの理由。

  • 読書中に何かわからないことがあったりちょっと飽きたときなどについついブラウザを開いて調べだして最後はwikipediaで宇宙について調べている。紙の本では辞書をひくようなことはない
  • 電子書籍では読み終えた達成感が得にくかった。物があふれているのは嫌いな性格なんだけど、本についてはモノあるほうが安心するらしい。自分にこういう感情があったことに驚いた
  • 本を持ってページをめくるという行為が安心するらしい。こういう感情もびっくり
  • 電子ペーパーのリーダーは画面が小さい(Sonyの大画面のは高い…)、その一方でタブレットだとすぐに目が疲れてくる
  • 電子書籍専用フォーマットになっている本だと作りが雑で図表がまともに見らえないことがよくある。他にもデザインがページ単位のものより美しくないとか
  • 電源入れて(タブレットならさらにアプリ選択して…)というのがめんどくさい
  • 「あれはあの本のここに書いてたような…」というときの検索がやりづらい
  • 最近でかい本棚を手に入れたので埋めたくなった
  • 子供の前では本を読んで彼にも本を読む習慣をつけてほしかった。タブレットを触ってると読書しているのか遊んでいるのか区別できないらしい。なおPCはまだ理解できない年齢なので、それはのちのちの話

自分でもわりとしょうもないなあという理由もけっこうありますで、そう思ってしまったものはしょうがない。で、前述のように紙の本を買うようになってから読書量が10倍くらいになりました。とくに気を散らす要素が減ったこと、および、読後に達成感が得られてどんどん読もうと思うようになったというところが大きそうです。前者については以前はじめたSNSと少し距離を置いた取り組みの影響も大きそう。

satoru-takeuchi.hatenablog.com

今でも漫画は電子版を買ってます。どういうわけか漫画は達成感どうのこうのとかが気にならない。不思議だ。