重要そうだけど興味のないことを頑張っても大していいことなかった話

時間は有限です。その合間を縫ってひねり出した可処分時間は貴重です。こういう時間は自分が楽しいと思えることにとことんつぎ込めばいいと今では思っているのですが、そうではなかった時の失敗談を紹介します。読者のみなさまの中で、好きなこと、やらなきゃいけないことしかできないという私のようなタイプの人には刺さるかもしれないです。

10年近く前の、まだわたしが若手というカテゴリに入っていたとき、当時ずっと生業にしていたLinuxカーネル以外にも、将来のために何かもう一つ引き出しの数を広げておかないといけないと思っていたことがありました。そういうときに飛びつきがちなのは流行りものです。当時のわたしにはそれがARMサーバでした。当時は何やらやらないと取り残されるのではという空気が身辺にありましたし、カーネル屋さんなのでハードウェアに近いところの知識はあればあるだけ損ではないという思いもありました。

ところがこれが大失敗。本を読んだりラズパイを買ったりしてみたものの大して熱がこもらず大した知見が得られないままに時間を浪費するというありさまでした。ここで何がまずかったのかを振り返ってみたところ、一番の原因は「ARM,もっというとCPUのアーキテクチャに大して興味がない」ことと、「好きなこと、やらないといけないことしかできない」という自分の特性の強さをあなどっていたということでした。気づいてしまえは当たり前で、やる前に気付けよといったところですが、当時は焦りからか非常に視野が狭くなっていたのでしょう。

この後は考え方を変えて、次のようにバッサリと割り切りました。

  • 今持っている技術が陳腐化しそうになったら、その時はその時、追い詰められたら奮起する能力は持っているのでなんとかなるだろう
  • 一番興味があるものから順番に学んでいれば将来それらに活路が見いだせるかもしれない
  • 無理して頑張っても、楽しく学んでいる人にはどのみちかなわない

この変心が正解というつもりはまったくないですが、将来の来るかどうかわからない危機に対して確実でもなんでもない備えを苦痛に耐えながらやり続けるよりも、楽しいと思えることを効率よく学べている今のほうが幸せだとは思います。

この文書がわたしと似た特性を持つ人に参考になれば幸いです。おわり。